東京地方裁判所 昭和36年(ワ)9658号 判決
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【判決理由】四 「正露丸」は、本件医薬品の普通名称か。
(一) 被告は、「正露丸」は本件医薬品の普通名称である旨主張し、成立に争いのない(乙号証―省略)には、被告の右主張に副う記載があるが、これらは原告と競業関係にある同業者又はそれと関連する薬局主において、本件医薬品につき、本件商標権者以外にも「正露丸」又はこれと称呼を同じくする名称を使用する業者が存在するとの事実に基づく多分に主観的希望的観測の域を出ず、にわかに、その結論するとおりであるとの心証をひき起すに足りず、他に被告主張の事実を認めるに足る適確な証拠はない。
(二) もつとも、
(1) 前掲各証拠に(証拠―省略)に本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、「正露丸」とその称呼を同じくする「征露丸」の名称については、中島佐一が、明治三十五年三月二十五日、自己の製造販売する本件医薬品につき、大阪府から「忠勇征露丸」という名称の売薬許可を得たのが最初であるが、明治三十七、八年の日露戦争において当時の軍が将兵の胃腸病に対処するため、戦陣薬としての本件医薬品に露国を征伐するとの意味を含めて「征露丸」の名称を使用し、これを服用した将兵が戦争後その効能を伝えたことから有名となり、前記中島が廃兵等による行商により全国に販売したことはもとより、他に日本売薬株式会社、平田重吉、梶原義三、佐藤重助、安治川茂一郎及び橋本正次郎等の業者も、自己の製造販売する本件医薬品に「征露丸」という名称を附してこれを販売するにいたり、大正の末期にはその数も三十数名に及んだこと、他方、鳥楢製剤合資会社は、明治三十八年九月八日、「征露丸」の商標登録を受け、右商標権の一部を大正十一年十月二十七日、中島に譲渡し、中島において右商標権により他の「征露丸」使用業者にその使用禁止を警告したことから業者間に「征露丸」の使用につき紛争が起り、警告を受けた業者が特許局に右「征露丸」登録商標の登録無効の審判を請求し、特許局抗告審において「征露」の文字は国際信義に反するとの理由で登録無効の審決をし、右審決は、大正十五年六月二十八日、大審院が上告を棄却したことにより確定したこと(中略)、右判決後、昭和の初期から昭和二十年ごろの間、「征露丸」の名称を「正露丸」あるいはこれと同一の称呼を有する名称に変える業者もあらわれたが、ほとんどの業者は依然として「征露丸」を使用していたこと(中略)が認められ、右事実によれば、「征露丸」なる名称が本件医薬品につき周知化しこれを使用する業者も相当数に及んだというべきであるが、右事実から直ちに「征露丸」が本件医薬品を特称する名称になつたといいえないのみか、本来、「正露丸」は右「征露丸」とはその文字において明らかに異る標章であり、その称呼において同一であつても、もともと、「征露丸」が「露国を征伐する」の意味もあつて有名化したことは前記のとおりであり、「正露丸」にはかかる観念を生ずる余地はないのであるから、「征露丸」が前記のように周知となつたとしても、これをもつて直ちに「正露丸」も周知化したとはいいえないことは明らかである。なお、前掲(乙号証―省略)中には、業者及び一般需要者の間において、「正露丸」が「征露丸」と同一であるとの認識が一般化している旨の記載があるが、「正露丸」は「征露丸」のにせものと評価している需要者の存在していること、及び販売業者において、「正露丸」と表示したうえさらに「旧名征露丸」なる名称を附加しているものもあることが前掲(乙号証―省略)により明らかであるから、前記記載はにわかに信をおき難い。したがつて、「正露丸」の起源を「征露丸」に求め、「征露丸」の普通名称化をもつて「正露丸」の普通名称化の一事由とする被告の主張は、この限りにおいて、理由がなく、採用し難いところである。
(2) 次に、前掲(証拠―省略)に本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、第二次世界大戦後においては、売薬の取締官庁である厚生省において、「征露」の文字が国際信義上好ましくないとしてなるべく避けるように指導したことから、従前「征露丸」を使用していた業者及び大戦後新たに出現した業者が「正露丸」又はこれと称呼を同じくする名称を本件医薬品に使用するようになり、たとえば、南国民製薬株式会社の「ミナミ正露丸」、殖産化学株式会社の「殖産正露丸」和泉製薬株式会社の「方名仙露丸」又は「イヅミ強力正露丸」、大阪医薬品工業株式会社の「真正正露丸」、大学堂製薬株式会社の「本方正露丸」、合名会社室谷生春堂の「室谷正露丸」、日本医薬品工業製造株式会社の「セイロ丸」、「征ロ丸」、東洋製薬株式会社の「東洋正露丸」及び共立薬品工業株式会社の「正露丸」等があること、本件医薬品の取引につき、取引者の一部には、各業者の商品の区別につき、商品の箱の外装あるいは製造販売元の名称によることもあることを認めることができるけれども、他方、本件医薬品に使用されている名称は、必ずしも「正露丸」のみではなく、前記室谷生春堂の「せんゆう丸」、ワキ製薬株式会社の「ワキクレオ丸」、殖産化学株式会社の「クレユウ丸」及び広貫堂の「クレオソート丸」等があり、ことに、右「せんゆう丸」は室谷生春堂が大正年代から一貫して本件医薬品に使用されているもので、その取引者の間においても、「せんゆう丸」の名称で取引され、「ワキクレオ丸」も前同様、「ワキクレオ丸」として取引されていること、「クレユウ丸」も一部業者の注文により殖産化学において昭和二十年ごろから使用していること、また、取引者の間においては、「正露丸」は原告の商品として認識している者が存在することが前掲(乙号証―省略)により認められるところであるから、前掲の事実をもつて、直ちに、「正露丸」がその取引界、一般需要者、ことに商品の市場取引において普通名称として使用されているものということはできない。
(3) また、被告主張の日時、「軍歌正露」、「忠勇正露」、「ゼンコクセイロ」、「金鵄征路丸」、「明治正露」、「ナカジマセイロ」及び「中島正露丸」がそれぞれ本件商標権とは別個の商標として商標登録されたことは当事者間に争いのない事実であるけれども、このような商標登録があるからといつて、直ちに「正露丸」の名称が普通名称であるといいえないこと普通名称であるか否かは、主として取引界の現状に照らして決すべき性質のものである点(登録例の存在は、その一事由に過ぎないとみるべきである。)に徴して明らかであるのみならず、(証拠―省略)によれば、「軍歌正露」、「ゼンコクセイロ」及び「金鵄征路丸」はいずれも昭和三十年に原告の申立によりその登録無効の審決が特許庁によつてなされてその失効が確定したこと、「明治正露」は、その商標権者であつた正起製薬株式会社においてその放棄手続をとつたことを認めることができるし、その他の商標はいずれも原告の登録商標であり、商品の出所標識力に関する限り、「正露丸」の普通名称化を助長させるものではない。
(三) かえつて、(証拠―省略)を総合すると、原告は、昭和二十一年十一月十八日設立された会社で、昭和二十五年九月一日、昭和二十一年八月二十四日に前記中島佐一の相続人中島義一から中島の本件医薬品についての営業及び登録第三六一、五九三号「忠勇正露」、同第三六一、五九四号「忠勇清露」、同第三六一、五九六号「忠勇証露」、及び同第二一八、三三六号「TYUYUSEIRO」(指定商品いずれも旧第一類丸薬、錠薬、散薬その他本剤に属する商品)の各商標権を譲り渡けた柴田音次郎から、その営業及び右商標権を譲り受け(移転登録同年十一月十日)て、「中島正露丸」という名称で本件医薬品を製造販売するとともに、昭和二十九年八月十二日、大阪製薬株式会社から、甲商標権及び登録第四二〇、八七〇号「せいろ」(指定商品旧第一類丸薬)、同第四二六、〇四六号「勢以労」(指定商品旧第一類、但し丸薬を除く。」の各商標権を正起製薬とともに譲り受け、さらに同年九月二日には正起製薬からその持分の譲渡をうけて単独所有者となる一方、原告自身の出願による乙商標権及び登録第四五五、〇九一号「SEIRO」、同第四五五、〇九二号「清露丸」、同第四五五、〇九三号「セーロ丸」、同第四五五、〇九五号「征ロ丸」、同第四五五、四八六号「せいろ丸」、同第四六七、三五四号「中島正露丸」、同第四七二、七八二号「中島忠勇正露丸」、同第四七二、七八三号「中島の忠勇正露丸」(以上いずれも指定商品旧第一類丸薬)、同第四六六、〇三一号「正露」、同第四六六、〇三二号「SEIRO」、同第四六六、〇三三号「セイロ」(以上いずれも指定商品旧第一類但し、丸薬を除く。)同第四一四、三六六号「NAKAZIMASEIRO(ナカジマセイロ)」、同第四一四、三六七号「NAKAZIMANOSEIRO(ナカジマノセイロ)」、同第三九〇、三七六号「NAKAZIMANOTYUYUSEIRO(ナカジマノチユウウセイロ)」、同第三九〇、三七六号「NAKAZIMATYUYUSEIRO(ナカジマチユウユウセイロ)」、同第四五五、〇七九号「中島の正露」、同第四五五、〇八〇号「中島正露」、同第五四五、九八四号「正露丸」及び同第五四五九八五号「SEIROGAN」(以上、いずれも指定商品旧第一類化学品、薬剤、医療補助品)の各商標権を取得したのち、前記「中島正露丸」とともに、本件医薬品につき、「正露丸」なる名称を使用して本件医薬品の製造販売をその業務とするメーカーで全国の各都道府県にその代理店をおき、昭和二十九年以降、年間約二千万円の宣伝広告費を投じて原告の「正露丸」の宣伝広告をした結果、本件医薬品の需要の約九十パーセントを占めるにいたつたこと、他方、原告は、前記商標の管理についても、前記のように、「軍歌正露」「ゼンコクセイロ」「金鵄征露丸」の各登録商標の無効審判の請求をしたほか、他の業者の出願にかかる「せいろ」「スミヨシセイロ」の各商標に対する異議の申立(異議が認められた。)、及び他の業者の出願登録にかかる「ダイヤクセイロ」、「強セイロー丸」及び「晴朗丹」に対する無効審判の申立(いずれも登録無効の審決があつた。)をして、類似商標の登録を防ぐ一方、前記のとおり「正露丸」を使用している業者の大部分に対してその使用禁止の警告を発してその一部の使用を禁止させ、あるいは訴によりその差止を請求し(勝訴した。)、また、売薬許可の取締官庁に陳情して、同業者が通常読むことあるべき業務公報に『「正露」は原告の商標である』旨の取締官庁発の通達の記載を得る等、意をそそいでいること、を認めることができ、右事実によれば、「正露丸」なる商標は、前記原告以外の業者中、現に使用している者が多少存在するにかかわらず、依然原告の商品の標章として、その商品識別の標識力を有し、かつ、その標識力は漸次増大しているものということができる。
(四) 以上説示のとおりであるから、「正露丸」が本件医薬品の普通名称であるとする被告の主張は、理由がないものといわざるをえない。
五 「正露丸」は本件医薬品の慣用商標か。
本件医薬品につき、原告以外にも「正露丸」をその商標、あるいは、その一部として使用している業者が存在していることは前に認定したところであるが、これによつて、「正露丸」の表示がいまだ原告の商標として識別力を失つていないこと及び同業者間において何人でも自由に使用しうる商標とはいいえないことも前に認定したところであるから、「正露丸」は、いまだ本件医薬品につき慣用的に使用されている商標とはいいえないものといわざるをえない。(三宅三雄 太田夏生及び荒木恒平は転補につき署名押印することができない。)